【三国志】呂布城を探して / 虎牢関村に行ったら現代版 “桃園3兄弟” に遭遇! 3兄弟「城について衝撃の話を語る」三国志 Another day 第2回



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「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」。『三国志』には数多くの勇猛な武人が登場するが、なかでも“最強”と言われるのが、呂布奉先(りょふ ほうせん)だ。名馬・赤兎馬にまたがり、方天画戟(ほうてんがげき)を手にすれば天下無双。向かうところ敵なし。

物語では「悪役」として登場するものの、非常に人気のある人物だ。そんな呂布の活躍した戦いのひとつが「虎牢関の戦い」なのだが、その古戦場付近に「呂布城跡」も存在するという。

虎牢関まで行ったなら、呂布城にだって行きたい。呂布城はどこですか?

・呂布城を探して

呂布城の跡地があるのは、河南省鄭州市の滎陽市(けいようし)だ。「市のなかに市?」と思われるかもしれないが、決して誤字ではない。長くなるので割愛するが中国の行政区画には存在するヤツである。

さて、滎陽市と言えば三国志ファンなら忘れちゃいけない『虎牢関』がある場所だ! 

虎牢関については前回の記事でレポートしたが、呂布城跡は、まさにその虎牢関の西山に位置するという。事前情報によると、虎牢関の石碑から距離にして2kmほどなのだとか。石碑の西側にある虎牢関村を通って、城跡を目指すことにした。

・虎牢関村でネオ桃園の兄弟に出会う

虎牢関村に入る。誰かに道を聞きつつ行けばいいや、と思っていたが……廃墟だらけで、誰もいやしない。

平地は坂道になり、無情にも山道に。「ヤバイとこ来ちゃったなー」と思ったところで、第1村人に遭遇した。

「日本から? 遠いところからよく来たね。生で日本人を見たのは初めてだよ!!」

慎ましい住居の前にいたのは人当たりの良さそうなオバちゃん、そんなオバちゃんを見て調子に乗りはじめるオッチャンA、そして黙々と農作業を続けるオッチャンB。3人の関係は男女の仲というわけではなさそうで、まるでオバちゃんを中心とした兄弟のよう……ハッ! 

なんとなく「桃園の兄弟」ぽいではないか! 現代の桃園の兄弟、ということで彼らのことは「ネオ桃園の兄弟」と呼びたい。お調子者のオッチャンAが張飛、生真面目そうなオッチャンBが関羽、そしてリーダー格のオバちゃんが劉備である。

虎牢関村に住んでいるなら、呂布城の場所も知っているはず。ネオ桃園の兄弟に尋ねてみた「呂布城はどこですか?」。

・「呂布城はどこですか?」→ 衝撃の回答が!

まず口を開いたのは張飛だ。グルリと囲む山を指し、こう言ったのだ。

張飛「ここら一帯が呂布城さ」

まーた、適当なことを! すると劉備が「いい加減なことを言うのはおよし」と言わんばかりに、張飛をさえぎる。ナイス劉備! だが彼女の口から飛び出したのは……衝撃的な言葉だった。

劉備「行っても何もないよ?」

でたー。いただきました、久々の「没有(メイヨー / ない)」! 

いや、でもわざわざ日本から来たんです、三国志の残り香を感じたいんです! 食い下がると劉備は「ない」の意味を詳しく話し始めた。

劉備「というかね、アレは全部ニセモノ! ニセモノだから見る価値なんてないよ、やめときな」

劉備「この先は、危ないから引き返した方がいいよ!」

アイヤー、そういうことですか。たしかに後世の人間が「ここ呂布城な!」と土を盛った可能性もないわけでもないけど……劉備の話をまとめると、

「城跡はあるにはある」
「しかし本物の呂布城ではない」

……ということだった。まぁいいや、それでも行ってみる! 大体の方角を聞いたので、あとはスマホで何とかなるっしょ。そう思って進みはじめたのだった。なおこの間、関羽は空気。もくもくと作業を続けていた。




・その先にあったものは

山をのぼり、今にも崩れそうな手掘りのトンネルを抜け、見晴らしのいい台地へ。

中国の地図アプリを頼りに歩き回ったものの、広がるのは絶望の草原、崖の下には黄河。

いまここから落ちたら、誰にも気づかれないまま死ぬんだろうなー「邦人行方不明ニュース」になっちゃうんだろうなーなんて思いつつ……探索を続けたが、結局、呂布城っぽいものは見つからなかった。

帰り道。ネオ桃園の兄弟はまだ農作業を続けていた。

沢井「見つからなかったー。バスの時間があるから帰るね、ありがとう」

と礼を告げて、その場を立ち去ったのだった。

・なぜたどり着けなかったのか…専門家に聞いてみた

むむむ、自分で言うのも何だが、地図も読めるし、スマホもあるし、中国語の読み書きもほぼ問題なくできるし、さらに地元民にも話を聞いた。行けると思ったのになぁ。なぜたどり着けなかったのだろう。ということで、プロに意見を求めてみた。話を聞いたのは……

巡った三国志遺跡は550カ所以上! 恐らく日本人で、いや、銀河系で最も三国志遺跡を巡っている「四象八牛(スーシャンバーニウ)氏」だ! その膨大な足跡は同氏のサイトでデータベース化されており、中国の三国志ファンからも一目、いや十目も二十目も置かれている存在と言えるだろう。

四象八牛氏「言葉もできる、地図も読めるとなると、やはり方言の壁でしょうかね。相手はこちらの普通話がわからない、こっちは相手の方言がわからないということが多いです」

 ※注:普通話:共通語のこといわゆる「北京語」

四象八牛氏「とりあえず「あっちにある」程度の話は理解できても、「◯◯のあるところで曲がって」などの話が続くとわからなくなってくるということが多いのでは。相手は「ああ?」とよく言ってきますけど、こっちも「ああ?」って聞き返したいくらいです。

人が少ないところではなかなか大変ですが、ちょっと進むたび、人を見つけるたびに聞くことを繰り返すしかないのかと思います。ただ、人民の話は話半分で、「ある」と言えばないこともあるし、「ない」と言えばあることも。さらに適当なことを言われて、逆の方向を進んでいたり。このあたりの見極めが難しいですね。

あとは諦めが肝心。安全第一で、次にリベンジするぞくらいの気持ちで。まあ、最後は精神論になってしまうのですが、「気合が足りん」ですか(笑)」

気合い!(笑)今回、劉備の普通話は達者であったし、なんやかんや色々教えてくれたので油断していたが、もう少し関羽を攻めるべきだったか。

ちなみに、四象八牛氏によると現地人に聞く場合は「50代の男性」の情報が一番役に立つのだそう。普通話もだいたいできて、周辺のことを知っていることが多いからだそうだ。なるほど! 次回の旅に役立てたい。

呂布城にたどり着けなかったのは非常に残念ではあったが、ネオ桃園の兄弟との時間はなかなか得難いものであった。なお、呂布城探索の拠点となる「汜水(しすい)」までの行き方は前回に記事でバッチリ紹介しているので、挑戦する人は是非参考にしてくれよな!

Report、イラスト:沢井メグ
Photo:Rocketnews24.


Source: ロケットニュース24






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