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タトゥーの方が、温泉やプールなどに入れないという問題、以下に述べるように、きわめてシンプルな論理学、集合論の誤謬であって、明日からでもそのようないわれなき差別は撤廃するべきだ。インバウンドのお客さんも増えている今、放置すれば日本の国際的恥である。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
タトゥーを入れるということが、過去において、特定の社会的勢力の方に見られ、またそのような方々がある特定の行動(威嚇など)をされたと言っても、すべてのタトゥーの方がそういう行動に出るということは、集合論としてもちろんならない。ベン図を書けば、小学生でも理解できるだろう。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
タトゥーを入れている方の一部分に、ある特定の行動が見られる(その事実自体もどれくらい確かか疑わしい)ということで、タトゥーを入れている方全体に、温泉やプールに入れないという不利益を与えることが、集合論としておかしいのは、落ち着いて考えればすぐにわかることである。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
次に、タトゥーを見るとこわい、不快だ、ということを理由に、温泉やプールへの入場を制限すべきだと主張する方がいらっしゃる。これは、(おそらくは偏見と無知に基づく)自分の感性を、パブリックな場の運用のルールにせよ、と主張していると解釈できる。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
自分の感性に基づいて、公のルールを決めろ、という主張が、論理的にどのような構造をしているのか、少し冷静に振り返ってみれば、誰でもわかるはずだ(と私は信じる)。個人と集団の関係。その意味で、タトゥーの方の入浴、プール利用の禁止はナンセンスだということは自明だろう。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
親からもらった身体を傷つけるのはうんぬん、私はタトゥーをしないうんぬん、タトゥーは嫌いだうんぬん、日本において、タトゥーの方の入浴、プール利用を禁止することを主張する方々の主張は、ことごとく論理的に脆弱であって、批判的思考の深刻な欠如を示唆している。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
世界的に見た、タトゥーの文化的、社会的意味合いの広がりを考えた時に、この現代の日本で、タトゥーの方の入浴、プール利用の禁止という奇妙なルールが温存されているのは、ひるがえって、日本における批判的思考の風土の欠如というより深刻な一般的問題の表れだと私は考えている。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年8月23日
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Source: IT速報
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