拍手喝采のスピーチ「どの国出身?なんて尋ねるのはもう止めにしませんか?」



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1:ねとうの親分 2019/06/21(金) 14:07:15.57 ID:PyHTZ+xD0●.net BE:151915507-2BP(2000)

去年のことです 私の最初の 本の出版記念ツアーで 13ヶ月で14カ国を旅行して 数100回の講演をしました どの国の どの講演も 最初は私の紹介から始まりました 全ての紹介は 残念ながら 嘘から始まりました

「タイエ・セラシはガーナと ナイジェリアから来ました」とか 「タイエ・セラシはイギリスと アメリカから来ました」とか この紹介の言葉を聞くといつも 紹介された国が イギリスでもアメリカでも ガーナでもナイジェリアでも 「本当は違うのに」と思いました

確かに私はイギリスで生まれ アメリカで育ちました イギリスで生まれた母は ナイジェリアで育ち いまはガーナにいます 父はイギリス領だった ゴールドコーストで生まれ ガーナで育ち サウジアラビアに 30年以上 住んでいます このような理由から「多国籍」と 紹介されることもありました 「ナイキは多国籍だけど」 「私は人間なのに」と思いました

出版記念ツアーの中盤でのことです デンマークにある ルイジアナ近代美術館で 作家のコラム・マッキャンと一緒に 講演を行っていました 文筆における 地域の役割に 関して話をしていたとき 急にひらめいたのです




私は多国籍ではない そもそも私は国ですらない 私がどこかの国からきたなんて ありえないことです 実体のある人間が 概念から来ることが可能でしょうか それは20年来 気になっていた疑問でした 新聞や本や会話から 私は国というものを 永続する単一の 自然に発生するものとして 捉えていました そこで疑問を感じました もしこれが正しいとすると 私は特定の場所と時代に 確固として存在した国から 来たことになります 事実はどうだったでしょうか?

私が生きてきた中で無くなった 国があります ーチェコスロバキア 新たに生まれた国ー東ティモール 失敗した国ーソマリア 私の両親は彼らが生まれた時には 存在しなかった国から来ました 私にとっては 生まれたり無くなったり 拡大したり縮小したりする国家は 人間を理解するための基礎とは 成り得ないように思えました

それから 国の主権を知ることが 重要だと考えるようになりました 私たちが国と呼ぶものは 実際には主権国家の 多様な表現でしかありません わずか400年前に現れた概念です 私はこれを国際関係の修士課程で 最初に学んだとき 安心感のようなものが広がりました 私が疑問に思った通りでした 歴史や文化は本物ですが 国は作られたものだったのです それからの10年間 私自身を再定義したり 定義から解放することを模索しました 私の世界 仕事 経験を主権国家という 枠組みから切り離すための探求です
以下ソース
https://www.ted.com/talks/taiye_selasi_don_t_ask_where_i_m_from_ask_where_i_m_a_local/transcript?awesm=on.ted.com_9cDM&language=ja

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Source: IT速報






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